「不要不急の外出を控えて」
「臨時休校」
「緊急事態宣言」

さまざまな情報が錯綜する中で、何が必要な情報で、何が必要な情報でないのかをどうやって見分けたらよいか。
大谷更生なりの基準は持っていますが、参考になればと思って手に取りました。
フェイクニュースの見分け方』(烏賀陽弘道さん)


著者の烏賀陽さんは朝日新聞社で新聞記者、週刊誌記者、編集者、フリー記者を経験したジャーナリスト。
本書で最も印象に残ったのは、最後のページに書かれた、この文章でした。

「事実(ファクト)に基づいているのか、いないのか」
それだけを問えばよい。
そう、大事なのはファクトなのだ。

印象に残った箇所

1980年代、私が大学を卒業して新聞記者として働き始めたとき、上司(デスク)に厳命されたことがある。
「記事では、主語は何かわからない文章を絶対に書くな」
だった。
その悪例のひとつとして、「~れる」「~られる」で終わる「受身形」を使ってはいけないと厳しく命じられた。

主語が不明確な文章はなぜ有害なのか。
「どれくらい事実と考えてよいのか」
が読者にわからないからだ。
(中略)
つまり「主語が不明」ということは「根拠が不明」ということである。

私はアーレントの逸話を思い出した。
人間は聞きたくない事実を受け入れようとしない。
自分の意に沿わない事実を認めようとしない。
それを知らせる報告書を攻撃する。
時代や文化の違いこそあれ、人間の本質はアーレント事件当時とまったく同じだと私は実感している。
※映画『ハンナ・アーレント

どうやって信用できる発言者かどうかを見分けるか。
いくつかのポイントを挙げてみよう。
私が普段見るのは
「正確に引用しているか」
「正確な言葉の定義に忠実か」
「専門の著作はあるか」
「具体的に何の専門家なのか」
といったところである。

専門家たちは、科学や合理に基づいた真実を発言するとは限らない。
「利害」や「立場」にそって発言する。

マスメディア情報に疑問を発するときには、自分の問いかけのゴールが何なのか、具体的かつ明確に決めて動かさない姿勢が必要なのだ。
「何を知りたいのか」
に照らして、どれくらいの重要性があるのか、査定してみる。
重要性がないと思えば、いかにマスコミが騒ごうが、耳目が集まろうが、捨てる。

フェイクニュースの見分け方』(烏賀陽弘道さん)

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