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八の謎

3/22(金)池袋22:40発の夜行バスで9.5時間かけて3/23(土)朝8:00すぎに鳥羽に到着。
これから妻と3/25(月)まで鳥羽⇒伊勢⇒名古屋を巡ります。
本日の行き先のテーマは離島ということで、鳥羽マリンターミナルで周遊券を購入して、答志島と神島に行くことにしました。

まずは答志島へ。
答志島といえば、戦国時代に織田信長に仕えて水軍を率いた九鬼嘉隆(くきよしたか)。
関ヶ原の戦いで西軍についた嘉隆は、子の守隆に追いつめられて答志島で自害。
嘉隆の首は「我が首は我が鳥羽城が見える場所に」との遺言とおり、鳥羽城を見渡せる丘の上に、胴部はその麓に葬られ、それぞれ首塚、胴塚として答志島和具に残っています。
◆首塚からの眺望




◆胴塚


答志島を巡る中で不思議だったのが、あちこちの家の壁に「八」の文字があったことでした。


ここにも


そこにも


あそこにも


さらに、あんなところにも


とっても気になって、鳥羽の宿に到着して、いろいろと調べたところ、こんな由来があることがわかりました。
【ここから】
まるはち
答志島を何気なく散策していると、個人の家の戸とか船等いたるところに墨で書かれたマルハチのマークを見かけます。
これは家内安全を願い魔よけとして書かれています。
マルハチの八は八幡神社の記しで、年に一度の八幡神社大漁祈願際(旧1月18日)の時に「お的」という行事で運ばれる神聖なる墨を島の男らが奪い合い、その墨で書かれたもの。
「お的」(弓引神事ともいう)は祭の中でも最も盛り上がる迫力万点の行事です。

答志島旅館組合ホームページより
【ここまで】
理由がわかってスッキリしました。
どんなときにも疑問を忘れない心、これからも持ち続けていきます。

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