先月5/26(土)の講師トレーニング講座第1回目の宿題『講師プロフィール作成』のため、思い出したくない大谷更生の黒歴史を深掘りしました。
大谷更生の挫折①
もともと自分勝手な人間
・自分の思い通りにものごとを進めたい
・自分が評価されれば他人は関係ない
2003年、33歳のときに担当した開発費用2億円超のシステム開発プロジェクトでサブリーダーとなったが、リーダーが職人型エンジニアで引っ込み思案なのをいいことに、リーダーをないがしろにして好き勝手に進めていたところ、プロジェクトは問題続出。
サービスイン当日朝に致命的な障害を解消してシステムをリリースしたものの、リーダーは心身のストレスから他部署への異動を直訴。
残った私はこの年の人事査定で最低評価となり、翌2004年には再教育プログラム行きを命じられた。
大谷更生の復活①
失意の中で友人に誘われて受講した中村文昭さんのセミナーで『頼まれごとは試されごと』『返事は0.2秒、「はい」か「YES」』という考え方があることを知り、だまされたと思って「頼まれごとは全て引き受ける」と決意。
ある勉強会で参加者から勉強会のスタッフになり、最終的には勉強会主催の100名講演会プロデュースを任されるまでになった。
そんな私の変化を見ていた友人から、2006年12月のホノルルマラソン完走直後に「『人生を走り続けるための原動力』をテーマに90分しゃべってほしい」と依頼があった。
人前で話すのはとても苦手でやりたくなかったけど、「頼まれごとは全て引き受ける」と決めていたので、0.2秒で「はい」と返事。
この講演がきっかけで、2007年に1冊目の著書『情報整理術』出版が決定。
この出版を機にセミナー講師やビジネスコンサルティングの依頼が増え、2009年12月にKDDIを退職して独立した。
大谷更生の挫折②
システムコンサルタントとして独立したものの、仕事の依頼はほとんどなく、失業保険で食いつないだ。
独立1年目の2010年秋に某有名コンサルタントから有料会員制コミュニティ立ち上げの依頼を受けて業務提携したものの、集客がうまくいかずに3ヶ月でケンカ別れ。
その翌月に実母がガンで死去。
翌々月に東日本大震災と、3ヶ月の間でトリプルパンチのダメージを受けて収入の目処が立たず、やむなく妻の扶養に入ることとなった。
大谷更生の復活②
全く面識のない編集者からオファーがあり、2012年5月に2冊目の著書『3年後のあなたが後悔しないために今すぐやるべきこと』を出版。
本書の出版を機に、前職の経験を活かしたシステム思考で、その人にしかできないと言われていた技術やスキルを体系化して再現性の高いノウハウに仕上げる手法を確立。
現在は問題整理の専門家として、問題整理手法、仕事のダンドリや報連相をはじめとするビジネススキル全般、売れ続ける仕組み構築に関する講師や、職人型経営者の独自ノウハウの仕組み化や体系化を実現するコンサルティングを提供している。
こんな大谷更生ですが、引き続き、よろしくお願い申し上げます。
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